こんばんは!畳バカ三代目福田 隆です(^^)
これは畳の裏面です。これはおよそ80年位前に作られた畳の土台部分です。
この作り方はそもそも秀吉の朝鮮出兵の際の名護屋城築城の際に考えられたものです。名護屋城は突貫工事作らなければいけなかったため、この当時の畳としてはかなり簡略化した作りとなっています。
そしてこの畳床、国刺しという名前なんですが、唐津から近いこちらの地方にも製造方法が伝わっており、祖父もこの作り方で畳床を作っていたそうです。
そして私は今この国刺しではありませんが、いつもお世話になっております山口県の荒川さんより手製の畳床製造方法を学んでおります。
こうやって昔の技術を後世に伝えていけるように、私達がしっかりと学んでいかなければならないと思います!
祖父さんには負けられんバイ(^^)
それでは今日もお疲れ様でした(*^^*)
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